※自分のサブブログからの転載
こなした試合の数々から、各構築に対してのセオリーを帰納的に論理だて、それを演繹することが勝率の安定に繋がると考えている。
試合ごとに気分でプレイングを変えるのは好ましくない。それは噛み合えば勝利という結果に繋がるが、実力ではないと考える。
実力が伴わなければ結果は一時的なものに過ぎない。にも関わらず、不相応な結果は自身に余計なプレッシャーを与え、同じかそれ以上の結果を要求する。
実力がないとこの要求に現実が応えられず、「こんなはずじゃないのに」と言いながら現実と理想のギャップに身悶えすることになる。
ポケモンにおいては、当然、この理論は統計的な話であって公式では無いため、xに同じ値を代入し続けても結果が変わることはある。
しかしながら、その場合わせで感覚でプレイした場合、彼我の構築相性を五分だとすれば勝率は5割ということになるが、セオリー通りに動けば近似値8割で勝てる。
そう思えば統計的には有為であると言える。
具体例。
前期の僕の構築に対して、ラグザシは初手ザシアン、裏にラグラージと置くことが多かった。
理由として、こう考えた。
ラグザシのザシアンは一般的に潮吹きを耐える調整を施している。
オーガから来た場合でもじゃれ石火でダイマ以外は全対応だし、サンダーから来た場合はラグバックから起点を安定して作ることが出来る両対応だからだ。
この理論は、ザシアンサンダー対面はこちらが居座ることを前提として構築されている。ザシアンに対してカイオーガ後投げは無理だよね?って言う。
実際にラグサンダー対面が作られると、こちらの構築ではザシアンに大幅に削られてしまい、勝利は困難に思われた。
なので、ここを突くことにした。つまるところ、初手にサンダーを投げてカイオーガに素引きする行動を取った。
この行動を取り始めてから、メモにある限りでは8試合ラグザシとの試合を行ったが、7/8で勝利を収めている。
この行動を取る前にメモをとった対ラグザシの勝率が1/5だったことを考えると、たった一手ではあるが非常に大きな意味があったと言える。
つまり、これが行った試合から帰納的にセオリーを立てた結果だ。
人は皆多かれ少なかれ、意識無意識問わずに、これを行っている。
例えば、バンギラスとウーラオスの対面ができたとする。相手の後ろにはカプ・レヒレが控えている。
あなたは恐らく、交換読みのかみなりパンチを繰り出したり、さらに穿って交換読み交換でサンダーを投げたりするかもしれない。
これはあなたの「過去の経験から帰納的に学習した結果の行動」である。
僕が言いたいのは、これを試合全体に及ぼしてはどうだろうか、ということになる。
よく、「n連敗して4桁に落ちた」「連敗したので萎えて撤退」という言葉を目にする。めちゃくちゃわかる。僕もする。しかしながら振り返ってみると、これをしている時はプレイが弱気になっているときだった。
言い換えて、自分の行動が定まっていなかった。
セオリーを立てられれば、負けてもnが3とか4を超えることはないと思う。確率的に。
普通に考えて、カバエスバラオスみたいな投げ方をしたら、当たり前だけど初手ノラゴンで試合が終わる。
だから、レヒレだったりゴリラだったりを普通なら投げる。投げないのは異端。
異端者は割り切って8割勝つゲームを時間の許す限り続ければ余程のことがなければレートは上がる。
だから、上の例でいえばレヒレとかゴリラを読んでホワイトキュレムとかを投げることを徹底したら、それだけでレートは上がる。たまに下がるだろうけど、傾きは上を向いているのだから、続ければ総合的に上がる。
ただ無闇に「○○引いてきそ〜」なんて呟きながら交換読みや釣り交換などを仕掛けるのは非効率だと考える。
Choice Fatigueというものが実際に証明されている。
そのまま選択疲労という意味で、人間、選ぶだけで疲れるらしい。
だから、そんな交換をバシバシ決めていては疲れるだけだし、それで読みを外して負けたらストレスも異常にたまるし、Twitterで運負けツイートばっかりしてるカスに成り下がらないとも言えない。というかなる。
各軸ごとに試合の展開を選出画面から想定し、その交換読みの先に何が起きるかを考えるべきだと思う。
勝つため、言い換えて、こちらの戦法を通すためには何が障害かを消去法的に消し去り、それを言語化することが出来れば、ゲームの上手い/下手に関わらずある程度の結果は伴うと確信している。
僕は今、自分があまり強くないことを知っている。上を見れば人ばかりいる。
なんならランクマも出来ていない。本腰を入れるには、しばらく雌伏の時を過ごさなければいけなさそう。
しかしながら、強くなれるだけの理由は持っているつもりでいる。一本筋の通った勝負哲学を持っているから。
いつか、胸を張れる結果を残せた時にこの記事を見て「変わってないな」と言えることを願い、擱筆とする。